町内会規約(会員用)

猪ノ子石鎚神社からの八軒屋

八軒屋町内会の編成・推移
福山市合併前、町内会のことを常会、又は部落会と言っていた、その昔、神社単位で氏子制度が確立していた頃、神社総代が部落を支配していたと言います。
当地でも毎年一月二日、部落の新年会でその年の各世話役等を全部決めていました。
昭和四八年当時、戦後の混乱期から高度成長期を迎え、特に深安団地の造成を機に、八軒屋の地勢も大きく変わりました。西の田園の中に新しく大きな道路が建設され、上(かみ)の池も埋め立てられ宅地に造成され、その頃から当町内会への転入者がどんどん増えていきました。当時までは神社を中心とした氏子組織がそのまま町内会組織でしたが、「転入者即、氏子」というわけにいかなくなり、昭和五十年二月福山市との合併を迎え、新しい町内会へと移行したのです。
発足時の町内会は、上組、下組の二組であったと思いますが、記録にあるのは昭和五十一年の、北の一組、北の二組、中組、下組の四組からです。

    濵田宗太氏著書 「八軒屋点描」より


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