下曽根荒神社
 【由来】
  元禄四年(一六九一)に勧請し、当地の産土神として祀る。元禄八年の再建棟礼を蔵している。
  明治四年(一八七一)の社格制度の祭、上加茂、八軒屋の「村社」として、上加茂村の羽場神社が列せられたが、地元民の当神社に対する崇敬の念は篤く、僅か三十戸にも満たない氏子で、創建以来三百年の間、造営修復をくり返し乍ら守り続けたことがうかがえます。
参道入口には燈籠と鳥居があり、何れも文化~天保(一七七四~一八四三)年間ものであり、やがて四十一段の石段にかかり、〆柱(昭和二年)を過ぎ、四十五段の石段を登りつめたところに明治二十六年(一八九三)の文字がみえます。
本殿は3間社流造、桟瓦葺(間口九尺奥行一間)で明治三十六年(一九〇三)御内殿造営礼が掲げてあり、又この本殿は神辺天別神社の旧本殿との伝承があります。本殿につづく幣殿、祝詞殿、挿殿、御供所は昭和九年(一九三四)に造改築したものでもあります。当神社の宗教法人としての成立は、昭和二十七年(一九五二)となっています。

                    広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより  [深安神社めぐり]
参道入口
石段からの拝殿
拝 殿

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