観 音 堂
 明治二十二年(一八八九年)旧三月、観音堂開屏法要の買い物並びに手伝人名記帳によれば、「ソモソモ当庵観世音菩薩ト申奉ハ、人皇二十九代欽明天皇ノ御作トデ。往昔 当地正戸山ノ城主栗原左衛門ノ太夫重忠公ノ守本尊也、重忠公落居ノ後当村ニ安座ナサシメタマウヲ、霊験アラタニシテ、萬民報恩謝徳ノ為、今般開扉ヲ致シ、諸人ニ結縁アラシメテ、依ッテ各々近く御拝有リテ心徳ヲ得ラレヨ」とあります。
 欽明天皇御作とか、正戸山城主云々とかは眉唾もので真偽の程は分かりませんが、恐らく開基以来昭和二十八年(一九五三年)まで、三十三年毎の開扉法要はされていたようです。
当時ここは法憧寺の西国三十三札所粉河寺を模した、第三番札所として近在の参詣も多く、古びた建物で石の太鼓橋を渡り、入ったところに せんだんの大木があり、境内は高野槙を囲らし、蝉とり,石けり等、子供達の恰好の遊び場であったし、又、盆踊りの会場でもあり、村の寄り合い、消防の夜景の詰め所と、様々な事に使用していましたが、戦後、家屋の補修もままならずの状態でした。
昭和四十八年頃、「上の池」(現・北組一帯)を埋め立て町へ譲渡し、その代価として現在の集会所が落成し、観音様も祀ることができたのです。

2019年(令和元年) 5月18日
観音堂で、八軒屋の守り本尊として信仰されてきた観音様の三十三年に一度の御開帳、開扉法要が行われました。 

    濵田宗太氏著書 「八軒屋点描」より
 観音堂の入口
2019年(令和元年)
 5月18日
 観音様の三十三年に一度の御開帳、開扉法要
 ご本尊様(観世音菩薩)

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